受け継がれる母からの言葉
私が子どもの頃、母はよく「お母さんはあなた達に育てられているんだよ」と言っていました。
自分も母となり、いろいろな困難に立ち向かうたびにそれを実感しています。
ホント、子どもに育てられてると感じるわ~
そんな話を実家でしたところ、
お母さんが子どもの頃に、あなたのおばあちゃんがそう言ってたよ
母もまた、自分の母からの言葉をわが子へと受け継いでくれていたんですね。すてきなマインドは、おばあちゃんから受け継がれたものでした。
私も娘へと語り継いでいこうと思います。
今回は、私が母親としてどんなふうに子どもたちに育てられてきたかをまとめました。
親育てその① 息子の発達にデコボコがあるっぽいことが発覚
息子に対して
あれ?
…と感じたのは1~2歳頃。大好きなくるまのおもちゃを規則的に並べるようになった時です。これは前に知的障害施設で働いていた経験からの勘でした。
知的障害と自閉症を伴う利用者の方が、床一面にちいさなおもちゃを規則的に並べていたことが頭をよぎりました。
娘が1歳を過ぎ、ふたりの子どもを保育園に預け仕事をはじめて数か月したあたり。
園へお迎えに行った時、先生から「発達が気になるお子さんへ」というプリントを渡され、「障害福祉センターの職員が園での様子を見学してもいいか」と声をかけられました。
あれ?とあの時気付けていたのに…。障害施設で働いていたとき、親の会に参加して親の気持ちも理解していたはずだったのに…。
案外自分ごととなると受け入れられないものです。
その時は、体の芯がひんやりするような絶望感しかありませんでした。
そして半年後、障害福祉センターでの月2回の療育がスタート。慣れない場所への車の運転が苦手な私でしたが、センターへ息子を連れていくために私もひとつレベルアップしました。
親育てその② 発表会・運動会はなんだかドキドキ
娘1歳。息子3歳。初めての園行事は運動会でした。見に来てくれた祖父母へは、息子の障害についてのカミングアウトはしていませんでした…というより出来ませんでした。だって自分自身もそれを受け入れきれていないのに、言えるはずはありません。
後に自閉スペクトラム障害との診断を受けるのですが、集団行動が苦手な息子にとって運動会の練習は苦痛だったようで、練習に参加できないこともしばしば…。園の先生からはこんな提案がありました。
本番は先生が横についてサポートするかたちになりますが大丈夫ですか?
と提案がありました。
え!恥ずかしい。祖父母は、他の保護者はそれを見てどう思うんだろう…
その後の発表会でも、いつも隣に先生が付き添っていました。他の子はちゃんと決められた場所で教えられた歌をうたっているのに…。と子どもの晴れ舞台に何か悲しい思いばかりがつきまとっていました。
園の行事の時期になると、大衆の前で悪目立ちしないかという心配ばかりで、努力している息子に目を向ける余裕がありませんでした。
親育てその④ 頑張りすぎていることに気付けず、母エンストする
初めての子育て・仕事の両立。まさかのわが子に発達障害が発覚。
いま思えば、どうしてそこまで無理をしていたのかと思いますが、当時はそのことにさえ気付けないくらい100%以上で走り続けていました。
保育園へ子どもたちを送ったら
出勤まで5分もある!残りの洗い物済ませに戻らないと!
コーヒーブレイクでもして一息つけばいいのに、何をそんなに焦っていたんでしょうね(笑)
少しのすき間時間を見つけては自宅に戻って家事をすませて慌ただしく職場へ…といった日々でした。仕事へ行っても「熱が出ました!」「迎えにきてください!」と出勤した直後にすぐ帰らないといけない、なんだか張りつめた毎日を送っていました。
職場への申し訳なさから仕事面でも無理をするようになり、気が付けば仕事に向かおうとする気持ちとしんどいという気持ちがぶつかり合って仕事に行けなくなりました。
ちょうど車がエンストしたみたいですね。この経験をきっかけに、自分を大切にすることを学びました。
親育てその⑤ 娘の言葉のおくれが気になる
娘3歳のころ。なんとなく赤ちゃん言葉がなかなか抜けないことが気になり、市の3歳半健診で相談してみました。その頃には割と発達障害を少しずつ受け入れはじめてきたので、療育へつなげる事への抵抗はありませんでした。
健診会場で簡単な発達検査を行った結果、言語の発達が少しゆっくりとのこと。言葉のコミュニケーションでつまずくと本人の自身喪失になるからと障害福祉センターへつないでもらい、半年後に療育をスタートしました。
ひとり月2回の療育だからふたりだと…。今度から毎週通うのか…。
自分の時間が減ることがちょっと残念だったままちゃん。でもその療育のお陰で、発達障害をより知ることができました。
親育てその⑥ 去年より成長している!
そんなこんなで、さまざまな予期せぬ悲しいことで鍛えられたままちゃんでしたが、嬉しいこともありました。
息子が年長の運動会もまた練習に参加できない日々が続きました。保育園最後の運動会、パフォーマンスも高度です。先生たちも、そんな最後の晴れ舞台に最悪参加できないのではないかとハラハラしていたとか。
ある日の保育園帰り、先生から「運動会の練習、一緒にできましたよ!」と嬉しいことばを聞きました。何がきっかけだったのか本人にたずねると理由はこうでした。
運動会でお母さんを泣かせたいからだよ!
もう、その言葉だけで泣きそうですけど
当日は先生のサポートはありましたが、みんなの動きの中に入って年長らしいパフォーマンスを見せてくれました。息子の思惑どおり、沢山の感動をもらった運動会となりました。心配していた先生たちもそんな息子を見て感動したと聞き、嬉しく思いました。
保育園最後の晴れ舞台、卒園式。
前みたいに先生がずっと付いていなくても参加できました。卒園証書を受けとった後、お母さんへ向かって将来の夢を言う時もまた、嬉し涙で息ができない位の感動をくれました。
人生初の子どもの卒園式。これまで色々なことがあったからこそ、成長してきた姿がより輝いて見えました。
卒園式は親へのご褒美。
これまでの道のりは無駄じゃないよ
と言ってもらえたような気がしました。
まとめ
とはいえ、まだまだ息子8歳と娘6歳。先は長いものです。今も進行形でいろいろな問題にぶつかっては、親として試されています。
母になってまだまだ8歳の若輩者です。これからも、自分メンテを忘れずに子どもに育ててもらおうと思うままちゃんなのでした。
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